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2023.10.17

発掘される写真のアウラ | Knowledge #2

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言葉からインスピレーションの源泉に迫る

みなさんは、どのように自己紹介をしていますか?
以前、とあるイベントに足を運んだ際にお会いしたクリエイターさんが「写真しているんだよね」と自分を紹介。その場のオーラも合わさり気づいたことではありますが、「写真を撮る」と「写真をする」は、読点のおき場所のようにその人の写真に対する価値観を別の角度で切り取ります。

写真は「撮る」ものだと追い込んでいましたが、「する」対象として捉えることもできるんですね。

この出来事のように、あまりにも明確で疑う余地のないものを、日常生活においてなんとなく常識として通用していることを、斜めの視点から眺めることで見える隙間穴。それを私たちはインスピレーションと名付けているのかもしれません。

インスピレーションは、無数の感覚的な経験の蓄積で裏付けられます。一方で、言葉を見つけ積み重ねた城を「知識」という形で論立てることも可能です。写真論を深掘ることは、写真を撮ることと、また異なる写真の魅力を発掘する作業です。


きっと、彼の「写真をする」感覚は今の話に通ずる何かがあるのではないでしょうか。

写真にまつわる知識を深掘りし、思考を巡らせる『Knowledge』シリーズ。今回は Knowledge #1 に続き、アウラの概念を写真家たちはどのように捉え、作品制作に応用したのか深堀っていきます。

街角を遺跡化する写真、後付けのコンテクスト

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©︎ Atget Faucheurs, somme 人影の見えないパリの街角

「今」「ここに」という一回の瞬間が持つ価値。
しかし、パリ市庁前でキスを交わす恋人の瞬間や、鯒が滝昇りする瞬間のような決定的瞬間でない尺度からもアウラを捉えることができます。

アジェは20世紀初期のパリの街を取り続けた写真家です。元々は画家を志していましたが、生活費を稼ぐために写真家としての活動を行い、当時脚光を浴びるほどの実力の持ち主でした。そのような彼の背景もあり、アジェにとって写真は表現ではなく、写真家としての生業。ただひたすら、撮り続けたパリの写真は、無意識、無表情、無感情で一見、窮屈にも見えます。しかし、アジェの死後、これらの写真はドキュメントとしての価値はもちろん、確実にアートとしての地位を獲得し、複製技術であった写真をアートの領域に取り込みました。

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©︎ Atget Faucheurs, somme

アジェの写真が放つ唯一無二なアウラとは、かつて栄えたパリの古き街の面影が失われつつある現代の都市において、その貴重な姿を永遠に保存し続けること。そして、世界都市のパリに群衆がどこにも写っていない、ある種非現実的な街の肖像を写し出していることです。

もしかすると、アジェ自身も窮屈だと思っていたのかもしれないそれらの写真は、後世の私たちにとっては、今はなきパリの遺跡を鮮明に示しています。コロッセオのように現存する遺跡でも、何十万人の観光客が訪れ、非常に今らしいにもかかわらず、古きパリの風景は、歴史的な一部として長くに、鮮明に事実を残し続けます。時が経つにつれて、アジェの写真が持つアウラ的価値も増え続けるでしょう。

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©︎ Atget Faucheurs, somme 

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