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2023.10.03

戻れはしないアウラのある瞬間 | Knowledge #1

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写真のディスクールを紐解く『Knowledge』

写真にまつわる知識を深掘りし、思考を巡らせる『Knowledge』シリーズ。記念する初エピソードでは、cizucu編集部の中の人の写真への想いを書き残します。

現代写真に宿るアウラ、言い換えると芸術の価値に値するもの。それは近代といわれる時代の美術作品や初期の写真における神秘的で、不思議な存在感とは確かに違う類のものに変化しています。だから、私たちは問い直す必要があるのではないでしょうか。

今を生きる私たちにとって、写真とは何か。写真とは、どんな意味を持つのだろうか。

街角で有名人に出会ったときを想像してみてください。誰しもスマートフォンのカメラですぐに写真を撮る。撮るその瞬間にも目はスマートフォンのモニター越しでフィルタリングされた世界を見ています。

シャッターを押すと、物質としてフィルムのコマが減ることもなく、メモリーに記録されて、世界中に共有することができます。

ましてや、AIの画像生成技術を活用し、広報用の素材をつくることもできれば、写真らしきものとして、イメージを消費することもできる。イメージ画像と写真が横並びに消費される中で、「写真が写真であるためのHowを、写真が写真であることのWhy」を考えることは、鑑賞者である私たち一人ひとりのモノの見方に委ねられているんです。

たった200年もない写真の歴史。これだけ人類のモノの見方を変え、美学に影響したメディアの本質を知るために、今に限らず、過去と未来という時間軸において、写真について今一度考えなければなりません。

前書きが長くなりましたが、今回のマガジンでは写真の価値を考える上で欠かせられない「アウラ」という概念を取り上げます。複製技術時代の幕開けとなった写真。写真作品に芸術的価値を宿すアウラという概念について、思考をめぐらしてみましょう。

アウラのある時間は戻らない

ドイツの思想家であるヴァルター・ベンヤミン(1892~1940)は、『複製技術時代の芸術(1935)』という彼の著書において、「アウラ」について論じています。

アウラとは、一体何か? 空間と時間の織り成す一つの奇妙な織物である。つまり、どれほど近くにあろうとも、ある遠さの一回的な現れである。夏の午後、寛ぎながら、地平に連なる山並を、あるいは寛いでいる者に影を落としている木の枝を、目で追うこと――これが、この山並のアウラを、この木の枝のアウラを呼吸することである (1)

「今」「ここに」という一回の瞬間、空間と時間が集約された唯一無二な何か、寛いでいる者を目で追うような、主体に対する客観性。それがベンヤミンの述べる「アウラ」です。

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atget Faucheurs, somme 初期の写真家として著名なウジェーヌ・アジェの写真

なんて言葉にすることが難しい概念でしょうか。しかし、感覚的に考えてみましょう。

カメラを手にしたあなたは、ビルの上で交差点を渡る人々を観察しながら、彼らが中央で交わる瞬間にシャッターを切ります。そこには、道路の向こう側に渡ろうとする人々の時間が捉えられていませんか?この瞬間は二度と訪れません、同じ人が同じ服装をして、それぞれの位置に立ち交差点を渡り直すことは、ありえないからです。

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Image by hikaru masamiya

一枚一枚の写真に宿る価値は、こうしたアウラ的な見方によって生まれることもあります。しかし、アウラはとても感覚的な概念であり、対象となるものによってアウラの意味合いも大きく変わります。

写真に宿るアウラの意味を変え、代わる技術として、AIの画像生成技術が論じられているように、実は写真の発明は、絵画に代わる複製技術として議論されたという話があったりと。次回のKnowledgeでも、写真におけるアウラの話をさらに深堀りましょう。

引用

(1) ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」『ベンヤミン・コレクション(1)』浅井健二郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、1995年

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