![photo-fU5Kuw9dRhHroo9nWVzt-image](https://cizucu-production.imgix.net/images/photos/fU5Kuw9dRhHroo9nWVzt.jpg?auto=format%2Ccompress&fit=max&w=3840&q=75)
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カメラは人生の再生機器だった 写真には人生が投影されている その瞬間までの、自分が写る 私は自尊心が低い いじめられ、けなされ、傷つけられ、それでも生きなければいけないと思った時、無我夢中で写真を撮った 働いて、人に揉まれて、立ち止まれなくて疲れ果て、何も感じず、全てを捨てた時も、カメラだけは手放さなかった カメラを構えている間は、この低い自尊心とも向き合っていられるからだ しかし、絶無に等しい自信はそう簡単につけられるものではなく 出来上がった写真を目の前にして これが正しいのかわからない、と呟いてしまうこともある ではここでいう正しさとはなにか? 現状を認めてあげること 自分を信じてあげること 写真を愛すること 自分に疑いをもつこと 表現で拒むことを恐れないこと 今の私にはこれが精一杯の答えなのだが 納得できないことがあったりする、ということだ 写真を撮れば感情が写り 感情だけでなく考えも写る 誰でも分かるものではないけれど 撮った私には分かる 1枚1枚語ることができる 日記でも原稿用紙でも書き尽くせない思いが写せる 自尊心が低いからこそ写真と向き合いつづけられる だから私は写真を続けている #私が写真を続ける理由
SONY ILCE-7M3
2023.07.15
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